海洋散骨ご報告|北海道 函館湾
北海道 函館沖での海洋散骨
地名の由来
室町時代の1454年、津軽の豪族河野政通が宇須岸(ウスケシ)アイヌ語で「湾の端」という意味)に館を築き、形が箱に似ていることから「箱館」と呼ばれるようになったそうです。1869年に蝦夷地が北海道となり箱館も「函館」と改称されました。(※ウィキペディア参照)
海洋散骨をした函館湾は、渡島半島の南部に位置します。函館山の南の大鼻岬と松前半島東部の葛登支岬を結ぶ線の北側に湾入しており、南側は津軽海峡です。
お天気が良い日は函館山から散骨した海域を見渡すことも出来ます。
ご家族様は遠方にお住まいでしたので、お電話と手紙でのやり取りでした。
ご遺骨の引取りは片道400㎞程のご自宅へお預りに伺わせて頂き、散骨当日は打合せからご遺骨の引取りまで担当した者が、現地でも対応させて頂きました。
函館湾周辺は観光地でもありますので、散骨で使用するお花は最小限で、お花の代わりに水溶性の紙で出来た花びら、花束を使用させて頂き、曇り空では御座いましたが無事お手伝いを終えることが出来ました。(2017年6月)